● 荒木十畝
あらき・じっぽ 1872-1944
1872年(明治5)、長崎県大村の士族朝長家に生れる。本名、梯二郎。
1892年(明治25)、上京して荒木寛畝の門に入り、琴湖と号す。
荒木家は江戸時代以来、南北合派を基とした花鳥画の名流。
翌年、荒木家の養嗣子となり、画号を十畝と改める。
日本美術協会展で受賞を重ね、1895年(明治28)にその会員となる。
1897年(明治30)、日本画会を創立、主任幹事をつとめる。
1903年(明治36)、東京女子高等師範学校教授。
1904年、セントルイス万博に「秋汀群鴨」銀賞。
1905年(明治38)、荒木寛畝門下の画塾を読画会として組織、副会長となる。
1907年(明治40)、文展開催にあたり審査員選考を不満として正派同志会を結成。
1908年、文展審査員。以後官展では旧派の中心的存在となる。
1910年(明治43)、日英博覧会に「初夏」で金牌を受賞
1924年、帝国美術院会員。
1929年(昭和4)、第1回個展を東京銀座の天金隣「銀座美術園」で開催。
1931年(昭和6)インド仏蹟を巡歴。
1937年(昭和12)、帝国芸術院会員となる。
『東洋画論』(1942年、小学館)などの著作がある。
1944年(昭和19)、死去。享年73歳。